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Biography-バイオグラフィー

TARO かまやつ

TARO かまやつ(Vocal,A.Piano,A.Guitar)

「祖父」「父」「父のいとこ」が有名シンガーという音楽環境の中、3歳の頃よりクラシックピアノ、音楽理論、作曲法を日本を代表する作曲家で「題名のない音楽会」の司会でも有名な故・黛敏郎氏に師事。1度聞いた曲を好きなアレンジで弾きこなす絶対音感はこの頃知らぬ間に身についた。
現在もこよなく愛するショパンやドビュッシーの演奏も幼い頃よりマスター。6歳より作曲開始。
大学入学後、バーやラウンジ等でのピアノ演奏そして弾き語りに復帰。卒業時には音楽家への道も考えたが、父の一言「一般社会を一度は見た方がいい。これからの時代は音楽は小椋佳さんみたいにやる方がいい」で一般就職への道=サラリーマンとなった。
就職後も音楽から離れる事なく、仕事をする傍ら趣味として作品は作り続け、時折行うLIVEでは自作曲のピアノ弾き語りを行っていた。

2005年5月、会社員のままビクターエンターテイメントの熱心な誘いによりよりデビューシングル「風のわだち」で満を持してサラリーマン・シンガー=TAROかまやつが誕生した。 同9月、初のアルバム「ピアノマンの詩(うた)」をリリース。ピアノと歌の世界感、花をイメージしやすい優しい楽曲が評価され、日比谷花壇のイメージキャラクターに就任。いよいよ本格的に音楽家の道を歩み出すことになった・・・
2006年より全国のイベント出演や、東京を中心に行っているワンマンLIVEをスタート。クラシックで磨かれた抑揚の効いたオリジナリティ溢れるピアノ演奏とそれに交わる優しく甘い歌声、そしてTAROならではの恒例となっているリクエストコーナーで言われた楽曲をその場でアレンジを付けて即興で弾いてみせるなど、生まれ持った絶対音感と卓越した音楽的な才能をいかんなく発揮している。4月からはFM北海道及びFM山陰(島根&鳥取)で放送の自身初の冠FMラジオ番組「TAROかまやつピアノマンの部屋」がスタート(1年放送)。2007年は夢だった札幌・時計台でのコンサートも大成功。
しかし、デビュー前後約3年に渡り、日々の会社勤務をこなしながら、アーティスト活動は事務所に所属せず一人で担ってきたことで、心身の限界に達し、次第に活動をセーブ。
2009年以降は活動は年に2回ほどのライブのみの活動となった。
2010年11月2ndミニアルバム「KEEP ON」をリリース。アルバム内の「GOAL」はTBS系全国ネット「チューボーですよ!」のエンディングテーマに採用された。
会社退職後、2012年より震災被災地への支援演奏活動を開始。東北で出会った人達との触れ合い、ピアノを使って自分の出来る事が、目の前の凍りついた人達の心をわずかでも溶かす事が出来た体験が、演奏家としての存在意義やあり方などを考えるようになる。

2013年より自らを「セラピアニストシンガー」と位置付け、従来のライブワークに加え、地方や施設などにも積極的に足を運び、未来を担う子供たちから高齢者まで様々な層に向けて「目の前の人を笑顔にする」活動を本格的に開始。そのベースとして、9月よりインターネット上でSMS(スマイルミュージックステーション)の運営をスタート予定。SMSでは、アーティストとファンの距離を縮め、音楽をより身近に感じてもらえるようなコンテンツを提供していく。また、音楽だけでなく、あらゆる分野の方々とコラボして皆さんに笑顔になってもらう企画を検討中。同理念に基づいた様々な趣向を凝らしたイベントも定期的に開催予定。

 

そして9月、初のアルバム「ピアノマンの詩(うた)」をリリース。ピアノと歌の世界感、花をイメージしやすい優しい楽曲が評価され、日比谷花壇のイメージキャラクターにも就任。いよいよ本格的に音楽家の道を歩み出すことになった・・・

2006年より全国のイベント出演をしたり、東京を中心に行っているワンマンLIVEではクラシックで磨かれた抑揚の効いたオリジナリティ溢れるピアノ演奏とそれに交わる優しく甘い歌声、そしてTAROならではの恒例となっているリクエストコーナーで言われた楽曲をその場でアレンジを付けて即興で弾いてみせるなど、生まれ持った絶対音感と卓越した音楽的な才能をいかんなく発揮している。4月からはFM北海道及びFM山陰(島根&鳥取)で放送のFMラジオ番組「TAROかまやつピアノマンの部屋」がスタートしている。