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ちょこっと旅行記

ちょこっと旅行記 沖縄編

2003年9月~10月にかけて僕は2度沖縄に行った。
一度目は9年ぶりの沖縄を堪能しに。
二度目は三線探し&戦跡巡りの旅。

一度目の旅は急遽時間が出来たので、昼どきの飛行機に飛び乗ってなんとなく行ってみた。
9年ぶりの那覇・国際通りは変貌していた。新しいビルが次々と建ち並び、東京でもおなじみの店が軒を並べ、かすかに覚えていた9年前の街並とはかなりイメージが変わっていた。
昼間はホテルのプールで遊び、飽きたら国際通りを散策、食事はゴーヤチャンプルー、ソーキそばといった沖縄料理やサムズのステーキをたらふく食べ、最後には民謡酒場で泡盛を飲みながら島唄を聞き、気持ちのいい所でホテルに帰って寝る。たった2泊の旅行だったがなかなかの気分転換になった。

国際通りの楽器店では三線が売られていて、冷やかしで弾かせてもらっていたら、あまりにいい音がするので欲しくなってしまった。色々と説明を聞くと、三線にも色々あるようで・・・音が鳴るヘビ革の部分が1枚革のもの、1枚革は破れやすいから2枚張って強化してあるもの、布のような人口皮革のもの。更に、棹と呼ばれるギターでいうネックの部分が黒木(黒檀)のもの、紫檀のもの、ゆし木のもの等など、聞けば聞く程どれを買ったらいいのか分からなくなった。結局買えずに終わってしまった。

二度目の旅は、まず前回購入に至らなかった三線探しをしたかった。今回は東京でインターネットを開き、三線、そして那覇にある三線店についてを綿密に調べておいたので知識とリストは万全。丸1日を費やして7~8軒は見て歩いただろうか? ある店では店主が店頭に出て三線を作ったり直したりしているのを目近で見ることが出来た。人柄の爽やかな人で、昨年26歳で店を継いだという。三線、琉球音楽に関して色々な事を教えてくれた。話がはずみ、戦争について、沖縄の暮らしについて、消えつつあるウチナー弁について等々、今回の旅行では沖縄を知る事も目的だったので大変貴重な時間となった。話はさんざんはずんだが、三線はやはり奥が深い様で、結局また買えなかった。がっくり・・・

戦跡巡りは今回の最も大切なテーマだった。日本で唯一地上戦が行われたという事実をこの目に焼き付け、胸に刻み込みたかった。朝早くから真っ赤なユーノスロードスターをレンタカーで借りて、ひたすら南下。夏の終りの沖縄の控えめな日差しを受けながら、広大な道路をひた走るオープンカーはそれはそれは最高の気分、東京では絶対に味わえない開放感だ。

しかし、これから目にする戦争の爪痕には少しの恐怖感があった。実は9年前にも観光コースで立ち寄ってはいたが、明らかにその時の感覚とは違うものだ。わずかでも大人になったのだろうか。糸満にある「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」「沖縄県平和祈念資料館」を5時間以上かけて隅から隅までくまなく見学した。当時の日本の状況、沖縄の状況、そして現在に至るまでの沖縄の立ち位置、知らなかった事をたくさん学ぶことが出来た。「ひめゆり学徒」と呼ばれる何の罪もない女子高生達の亡くなった時の状況が添えられた一人一人の顔写真、奇跡的に生存した方々の証言集には胸が張り裂けそうな気分になった。そして何より、今自分が気持ちよく車で南下してきた道のりを、当時の市民達は迫り来る敵から逃れるため歩いて逃げてきたという。どんなに苦しく、恐怖だっただろう・・・。もう心の中は一杯一杯だった。

北へと戻り、那覇を越えて更に北上、広大な嘉手納基地の周りを走り、コザへと立ち寄る。基地の近くという事もあり英語で書かれた店の看板が立ち並ぶ街。返還される1972年までは沖縄全体がこの様だったという。夕方になり、那覇へと戻る途中「さとうきび畑」を見つけた。自分より高く生い茂るさとうきび畑の中に入ってみたかったのだ。あの「さとうきび畑」という歌で綴られている言葉の内容を心にかみしめながら・・・