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自分と音楽との関わりの変遷

第二章 小・中・高校時代

自分の意思で、クラシック以外の音楽を聞き出したのは、小学校入りたての頃の「ゴダイゴ」だろう。当時多くの人が見ていたTBS「ザ・ベストテン」の影響で。というよりも、学校での話題についていくため見ていたという感じ。「ガンダーラ」という曲が流行っていた時、サビで出てくる英語の歌詞を意味も分からず、語呂で覚えて歌っていたものだ。中学に入り英語を勉強するようになって、それがひどいデタラメで、恥ずかしくなったのをよく覚えている。英語詩が多い「ゴダイゴ」の楽曲はあの頃とても新鮮だった。曲もすばらしく「銀河鉄道999」「ビューティフルネーム」「モンキーマジック」と出す曲全部格好良かった。
アイドルブームもあった。男はみんな「松田聖子」を聞いていた。僕はどうにもルックスがタイプでなくどちらかと言うとアンチ派。むしろ「柏原よしえ」のようなむっちり系が好きだった。「青い珊瑚礁」より「ハローグッバイ」でしょと。あと僕は「トシちゃん」が好きだった。なぜなんだかは今では全く分からないが、踊るトシちゃんの真似をしていた。格好いいと思ったんだろう。確かに格好良かったし。だから今でも初期の頃の彼の歌は全部歌える。

中学生になったあたりから、周りに洋楽を聞いている、洋楽しか聞かない人種が出現してきた。すごく大人に見えるんだねこれが。僕はとりあえず「DURANDURAN」から入った。友達との会話に合わせる為「ベストヒットUSA」を欠かさず見て、「マイケル・ジャクソン」「ポール・マッカートニー」「ビリー・ジョエル」「ボーイ・ジョージ」「ホール&オーツ」といった今言う70年代後半~80年代初頭ポップスを見栄も含め聞いていた。

僕は中学に入ってから読売巨人軍の「原辰徳」に憧れ、野球部に入部していた。当時、巨人のスーパースターで、格好いい原さんが大好きで大好きで、投げ方打ち方から仕草までマネしまくっていた。「突き指するぞ」と黛先生に顰蹙をかいながら週2回のピアノレッスンもしっかりこなしてはいたが、原さんみたいになる為、結構かなりマジに野球に明け暮れていた。

高校に入って、更に野球に熱中。なんと言っても僕もあの遥かなる甲子園を目指し硬式野球をやっていたのだから。本気で僕は原辰徳になれると思っていたのだろうか?・・試験の日に公式試合がぶつかったら、試合優先。練習は毎日。毎日がヘトヘト。ヘトヘトではピアノどころではなく、1年生後半からの2年間はほとんどピアノなど弾いてなかった。

そう、この頃おニャン子クラブが流行っていて「会員番号の唄」とか歌えたな。今で言う「モー娘。」だが・・・若気の至りだったなあ。