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自分と音楽との関わりの変遷

第三章 大学時代~現在

大学に入学し、やはり原辰徳ではなかった僕は野球を辞めた。

その代わり鍵盤の前にまた戻った。2年余りのブランク・・・まだ弾き方が体で覚えている事を確認すると、家庭教師よりはギャラがいいだろうとピアノのバイトを始めようと考えた。何から始めて良いのか分からず、最初にあたったのが結婚披露宴での演奏。小さな事務所に人材登録されて、仕事が来たらホテルに行って見ず知らずの人の結婚式のBGMをやる。随分、披露宴用の曲の譜を渡されて覚えた。最初の時、ピアノ1本でお嫁さんを泣かしたいなと思い、クライマックスの「両親に花束」のコーナーでコテコテな「さだまさしの秋桜」を感情こめて弾いたらお嫁さんが大泣きしてて、嬉しかったのを覚えてる。4~5回やっただろうか、みんな結構簡単に泣く事が分かってすぐに飽きて辞めた。
次にやったのは高級フランス料理店でBGMの生演奏。お客さんが静かにディナーを楽しんでいるから、ミスタッチするとかなり目立つ訳で、結構緊張しながら弾いていた。これはかなりの回数をこなしたなあ。クラシック、映画音楽、スタンダードジャズなんかを中心に弾いていた。

次にやったのがホステスがいる様なクラブでのピアノ演奏&弾き語り。あれは学生時分の僕にはかなり社会勉強になった。仕事帰りのサラリーマンたちが夜な夜なお姉ちゃん目当てでやってきては会社でのうっぷんを晴らす様な場所。一般社会の縮図のような場所だ。冷めた表情でピアノを弾く僕にも酔った勢いで話し掛けてくる。「先生、五木ひろし弾いて」「先生、「昴」をピアノ伴奏で歌ってみたい」「先生、「男と女のラブゲーム」知ってる?」・・最悪だ!!・・・なんで演歌まで弾くハメに?・・・こういう場所ではジャズスタンダードを弾くのだろうと、20曲くらい覚えて臨んだのに・・・それに、なんで僕が先生なんて呼ばれるんだ? この業界ではこういうピアニストを先生と呼ぶらしい。20歳そこそこの僕にはピンと来なかった。その後結構長いことこういったバイトはやった。

社会に出て、2,3年経ったあたりから友人の結婚ラッシュが始まる。現在までに29人の披露宴に出席してピアノを弾いた。僕はこういう場所ではいつもクラシックを弾くようにしている。絶対に唄も歌わない。「LONG VACATION」というフジテレビの月9ドラマが流行っていた時、主役のキムタクがピアニスト・瀬名を演じ、劇中で彼が弾いていた曲を耳コピして「ウケるだろう」と1度だけ披露宴で弾いた事があったが、明らかに反応が悪かった。そういう場所では年配の方が多いから、流行ものよりも厳粛で難解な感じがするクラシックの方がウケるのです。

この頃から曲作りもかなり量産するようになっていて、デモテープを作るのが楽しくて夜中まで熱中して作っていた。今聞くとそれはひどいクオリティだけど・・発表する場として青山の「MOMINOKI HOUSE」というピアノのあるお店でよく弾き語りをやった。このお店のオーナーさんはすばらしい人で僕のような音楽とかをやっている若者に場所を開放して応援をしてくれた。まあこうして色々な場所でやってきた事もあり、今では人前での演奏で緊張するという事は全くと言っていい程なくなった。

話は変わるが、子供の頃から父親に「THE BEATLES COMPLETE」という4枚組レコードを「聞け」と渡されていた。とうの昔に解散したバンド、230曲以上も収録されてる・・・面倒くさいから長い間ほおっておいた。大学1年の夏にLAに短期留学した際、現地で時間を持て余していたので意を決してすべての曲を一気に聞いた。一応父に感想くらい言わねばならないから、好きな曲をリストアップしながら。「Hey Jude」「Let It Be」「Can't Buy Me Love」「Long And Winding Road」等々・・挙げたら切りがない位素晴らしい楽曲、聞いた事がある楽曲の数々。ハマった~。自分がロック系の音楽にここまでハマるとは考えてもいなかった。驚いたのは後で調べたら好きな曲に○していた曲はほとんどがポール・マッカートニーの作った曲だった事。ビートルズというのはポール約45%、ジョン約45%、ジョージとリンゴが残りの10%を作曲しているにもかかわらずだ。僕は筋金入りのポール派だったという事だ。ポールとジョンの曲には全く違う個性がある。こんな話は巷で言い尽くされている事だが、一般的にはポールはメロディ流麗系、ジョンはノリ、ひねくれ系と言われている。ビートルズは時代を超えて今も愛される、飽きられない理由はそこにあって、メンバーの個性が全く違うからバンドの楽曲の幅が広がり、ポールの曲から入った人は次にジョンの曲を聴いては違う良さを知り、そして一番渋いジョージの曲にも違う良さを感じ、・・・飽きさせない。僕もポールに飽きた後はそうだった。それぞれの持ち味を長い間楽しんだんだ。

ビートルズというと、僕の場合忘れてはならないのが無二の音楽親友「Shige」の存在だ。音楽にクラシックから入った僕には、ビートルズに出会うまで「コード」という概念がなく、前にも述べたが「ギターはならず者の楽器」とマインドコントロールされて育った僕は触る事もなかった。「ポールみたいにアコギを弾いて「Yesterday」を歌いたい!」と無邪気に思う様になり、父親に習うって訳にもいかず、そこで「Shige」が登場する。幼なじみで小学生低学年の頃からませガキだった彼は大のビートルズファン。リバプール観光に丸4日いても飽きないという強者だ!! 奴は教える事が妙にうまい男で、要点だけをつかんで実にすばやく教えてくれた。コードさえ覚えれば思ったより簡単だった。できた時は嬉しかったな・・・それが僕の初ギター演奏。なんと大学1年生。「Shige」とはその後、何度もステージでビートルズを一緒に演奏した。ジョン派の「Shige」とポール派の「僕」。喧嘩にならない。小学校3年からのつきあいになる彼は現在LA在住。ビートルズで英語を完璧マスターした彼は海外で自分の大好きな仕事に日々邁進している。今でも僕の大切な音楽友達だ。

もう一人音楽友達を紹介しよう。「Tommy」というアーティストだ。彼はとにかく多作、すごいスピードで詞曲を作る。勿論その中には駄作もあるが秀逸な曲も多い。ディランを初めとした様々なロックン・ロールやルーツミュージック、特にブルースの影響を受け、その中でもよりプリミティブな音を好む。アコギ1本で切々と歌う曲もブルージーなのが多い。ブルージーな要素の少ない僕の楽曲とは対極の位置にあるので、非常に参考になったりする。彼はあらゆるジャンルの膨大な数の音源を聞いていて、引き出しの間口がかなり広い。i-podに5000曲ぶっこんだが、曲数が足りなくなって15000曲入る機種に買い換えたというから驚く。忙しいのにいつそんなに聞いているんだろう??
最近では「B.B.Q.K<バーベキュー・キング>」というバンドを結成し、僕も時折参加しているが、バンド独自の音 人呼んで“バーベキュー・ミュージック”を模索中だ。多才な彼は短編小説の執筆も始めていて、シーンを彩る音楽も同時に制作。CD付短編小説を完成させたいそうだ。多いに期待したい。あと、LIVE音楽の映像演出、監督をさせたら天下一品、右に出る者はいない という事もつけ加えておこう。リアルな音楽への愛情、リスペクトを曲げずに持ち続ける彼も、僕の大切な音楽仲間だ。05.8月よりNYに渡った。ここで紹介した僕の重要な音楽友達2人はLA,NYと共に米大陸に行ってしまった。

さて、昔からLIVEなどによく顔を出して頂いていた方々には「お待たせしました」という感じになりますが、2005年5月25日、ビクターエンタテインメントからシングル曲「風のわだち」c/w「あなたとわたし」でメジャーデビューリリースをする事となりました。「風のわだち」を気に入ってくれたビクターのプロデューサーの方から熱心にお誘い頂き、最初は少々ビビったのですが、現在の仕事も続けながら“サラリーマンシンガー”として勝負する事になりました。「風のわだち」は等身大の自分を描いた、今の僕が心情を隠すことなくぶつけられる自信作でございます。発売直後から週末には全国各地津々浦々に行かせてもらって、より多くの方々に聞いてもらい感動して頂ける様、1回1回丁寧に歌って来ようと思っています。皆様に色んな所で会える時を楽しみにしています。いつしか多くの方々が「風のわだち」を覚えてくれて、「ヒュルルヒュルル」と僕と一緒に歌ってくれる日を夢見て頑張っていきます。是非聞いてみてください。全国キャンペーンの情報、報告はインフォメーションのコーナーで随時行っていきますのでチェックして下さい。